2021年7月14日
長くて一度でおぼえられない⁉「スリランカの名前にまつわるお話」
インド洋に浮かぶ「光り輝く聖なる島」の意味をもつスリランカ。
アイム・ジャパンのスリランカ実習生も活躍しています。
スリランカ実習生のお名前がとても長いので、当機構のスリランカ職員Iさんにその理由について伺いました。
- 編集部(以下、編)
- 「日本人の名前は名字(姓)と名前の二つが一般的ですが、日本人と比べてスリランカの方々のお名前がとても長いのですがどのようになっているのでしょうか。」
- Iさん
- 「来日してから名前についてよく質問されます。オランダやイギリス統治の影響もありファーストネーム、ミドルネーム、ファミリーネームと家族の名前が長くなっています。
昔は身分、位が高ければ高いほど名前が長い傾向がありその影響を受けています。
最近では4つから6つの名前が主流になっています。
例えば6つで「ボーワッテゲダラ・ディサーナーヤカ・ ムディヤンセーラーゲー/ ギハーン・ サマンタ/ディサーナーヤカ」という名前の場合、「ギハーンさん」と呼ばれています。 - 編
- 「どのような意味があるのでしょうか。」
- Iさん
- 「ボーワッテゲダラ・ディサーナーヤカ・ ムディヤンセーラーゲーは先祖伝来の名字です。ボーワッテゲダラは住んでいた地名、ディサーナーヤカ・ムディヤンセーラーゲーは村長を表しています。」
- 編
- 「先祖伝来の名字というのはどこから由来しますか?」
- Iさん
- 「名字には主に曽祖父からくる名字と今の家族(父親)の名字の二つがあります。父親の名字がディサーナーヤカになります。」
- Iさん
- 「ファーストネームはギハーン・サマンタ、ただクラスや職場に同じギハーンさんがいるとサマンタさんと呼ばれる場合もあります。」
ボーワッテゲダラ・ディサーナーヤカ・
ムディヤンセーラーゲーギハーン サマンタ ディサーナーヤカ Bowattegedara Dissanayake Mudiyanselage Gihan Samantha Dissanayake (三代前までの先祖伝来の名字) (ファーストネーム) (家族の名字) 地名住んでいた地名および仕事 主に両親が命名 現在の家族の名字
- 編)
- 「結婚した場合、女性は男性の名字に変更になりますか?」
- Iさん
- 「人それぞれです。私は結婚しても名字は変えませんでした。」
~子どもの名前は星占いで命名~
- 編)
- 「お子さんが誕生したときはどのようにお名前を決められますか?日本ではいい画数を選んで命名することが多いです。」
- Iさん
- 「子供の幸せを願って、生まれた日付、時間帯をスリランカの占い師に伝えて星占いで縁起のいいイニシャルを決めてもらって命名します。」
- 編)
- 「スリランカでは大事な行事は占いで決められている事が多いと聞いたことがあります。」
- Iさん
- 「占いはさまざまな儀式の日時、結婚式や引っ越しの日時、また新年の火をつける時間等も占いによって決まります。その中で名前は特に大事にされています。」
- 編)
- 「一生使い続ける名前ですのでいい名前にしたいですよね。」
- 編)
- 「最後にお子さんの名字は両親どちらになりますか?」
- Iさん
- 「父親の姓が引き継がれます。そして最近はグローバル化もすすみ、パスポートには全部の名前を記載する必要があり長いと不便なこともあって、短くなる傾向にあります。」
- 編)
- 「有難うございました」
※名前については諸説あります。
~スリランカは首都の名前も長い~
スリランカの首都は世界でも長い名前の一つとして知られていてスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテです。由来は「スリ(Sri)」(光輝く)、「ジャヤワルダナプラ(Jayawardene)(元大統領のお名前※諸説有)、「プラ(pura)」(街)「コッテ(Kotte)」(もともとの街の名前)
第2次世界大戦後、日本がGHQの占領下にあった1951年9月、当時は大蔵大臣だったジュニウス・リチャード・ジャワルダナ元大統領は、サンフランシスコ講和会議の席上で、スリランカ(当時セイロン)代表として日本と日本国民に対する深い理解と慈悲心に基づく演説をされたことで知られています。
~スリランカとの意外なつながり。鎌倉大仏の隣に佇む元大統領の石碑~
東京から電車で約1時間の古都・鎌倉にある鎌倉大仏高徳院の一角にジャヤワルダナ元スリランカ大統領顕彰碑があります。これは元大統領を称えて、心からの感謝と報恩の意を表すために1991年に建てられたものです。
前面には
人はただ愛によってのみ
憎しみを越えられる
人は憎しみによっては
憎しみを越えられない
と記されています。
~石碑に刻まれた慈悲と共生の理想~
ジャヤワルダナ元大統領は、サンフランシスコ講和会議の演説でブッダの言葉を引用して、「憎しみは憎しみによって消え去るものではなく、ただ慈悲によってのみ消え去るものである」と演説。スリランカ国(当時セイロン)は日本に対して賠償請求を放棄することを宣言されました。
さらに「アジアの将来にとって、完全に独立した自由な日本が必要である」と強調して一部の国々が主張した日本分割案に真っ向から反対しました。その後、日本は今日の平和と繁栄につながる戦後復興の第一歩を踏み出しました。この石碑は、21世紀の日本を担う若い世代に贈る、慈悲と共生の理想を示す碑でもあるのです。
スリランカの姓名が長い理由を探索する中でスリランカと日本の友好関係のルーツに触れることができました。そして、親が子を思う気持ちは万国共通で、長い名前にこめられた思いも知ることができました。
あなたのそばにいるスリランカの方に是非名前の由来を聞いてみてください。意外な事実に辿り着くことができるかもしれません。そしてコロナ禍が収束したら、皆さんも是非のんびりと鎌倉散策をして大仏高徳院に立ち寄ってみることをお勧めします。